2007年 11月 24日
ナポリの洗濯物
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空にたなびく洗濯物。
ビルとビルの間に無数に張られたロープに万国旗のように堂々と並ぶ洗濯物たち。
ナポリ観光の見所の一つなのかもしれない。
でも、実はこのような光景がみられるのは、住居と商店が入り混じって密集しているナポリの昔からの繁華街だけで、最近は商業地区も住宅地もこうやって大胆に洗濯物を干す事を遠慮しなければいけないような風潮がある。
干すのは、付近の景観を壊さないよう、ベランダの手すりの手前か折りたたみ式の物干し棚。中庭のあるコの字型やL字型のアパートメントも多く、その庭に面した側には多少伸び伸びと干す事ができる。
一軒家だったらもちろん何の問題もないが、不動産地価の高沸しているナポリ市内には、一軒家は極少ない(と思われる)。
我が家は一階で、幸い小さな小さな庭があるのでそこに干す事ができるが、交通量の多いこの周辺は年々スモッグが増加を続け、あまり「物干し」に良い環境ではないかもしれない。
又、このあたりのアパートは、日本のベランダのように排水溝がついていないので、上層階に住む人がベランダの鉢植えに水やりなどをしようものなら、水がベランダの床からそのまま下の階の物干しに流れ落ちてくるようになっている。
我が家もその被害を受けて洗濯物が濡れる、汚れるなんてことが頻繁に起こる。が、これは又別の話し・・・。
私の知るナポリ人は「洗濯物」に関して非常に神経を使う。
いや、私が無頓着だからそう見えるのかもしれない。
白いものは60度以上の高温で洗い、(ちなみに洗濯機はどれも90度まで設定できるようになっている)ホンの少しでもシミが残っていたら、漂白剤でシミ抜きをしてもう一度洗い直す。
黒いものは黒いものだけ、GパンはGパンだけ、残った色物は濃いものと薄いもので分ける。
そして乾いたら、今度はアイロン掛け。
Yシャツ、ブラウス。これはわかるが、Tシャツ、カットソー、ジャージ類、子供服、ベビー服にとどまらず、シーツ、タオル類、さらには肌着に靴下も。
中には雑巾や窓拭き用のボロキレ(古いTシャツやシーツを切った物)にまでアイロン掛けをするという完璧主義者も。ボロキレは使ったら捨てるものだと思っていたので、二重の驚きだ。
そこまでアイロン掛けをする人は極少数だが、ほとんどの人はパンツと靴下以外は全てアイロン掛けをしているらしい。
びっくりした。感心もした。
私は、せいぜい色の濃いものと薄いもの(白物も含む)を分けるくらいで、余裕の無い時は全てまとめて洗濯機にぶちこむ。Tシャツも子供服もどうせ毎日洗わなきゃいけないものだからアイロンなんて掛けない。
そう言ったら、逆に仰天されてしまった。私が怠慢すぎるのかと、かなり疑問を持ちながら反省してみる。
この間そんな事をチャキチャキのナポレターナの姑に話していたら、興味深い話しを聞いた。
かつて、今のように住宅事情や交通事情が悪くなく、街の景観云々などが云われなかった頃。
物干しロープは出来るだけ長く、時にはお向かいさんやお隣さんと庭先や軒先を貸し合って、一番日の当たる場所に張ったものだった。
洗濯機がまだ無かった頃だ。一回にする洗濯物の量は多く、次々と乾かさなければいけないので、広々と大胆に干し広げる。当然人目にもつく。
だから、凝視しなければ見えないほどの小さなシミにも気を使ったのだそう。
そんなものを干していたら、それは主婦の、家の評判につながりかねないのだ。
アイロン掛けも聞いてみれば納得の経緯があった。
化学繊維や綿でもジャージ素材の物が少なかった当事、着るものは、ウールを除けば、綿100%のものがほとんどだ。
アイロン掛けをしないわけにはいかなかったのだ。
徐々に合成繊維のものが一般化しながらも、アイロン掛けの習慣は残ったのである。
それに、人目に付く洗濯物はいつまでも干しっぱなしにしておけず、ちゃんと乾かすためにもアイロン掛けは必要だった。
さらに、高温で洗う、出来るだけ太陽にあてる、高温のアイロン掛けをする、という事は伝染病やのみ、しらみなどの除去、予防対策にもなるのだった。
そんな時代を過ごしてきた、おばあちゃんやお母さんに育てられた人達が普通にその習慣を受け継いだだけだと納得すると同時に、なお続けているという事に驚く。
確かに、きれいにアイロンの掛かったものを身に着けるのは気持ちいい。
でも、私の友達は、たいてい小さな子供を持ち、仕事もしている。
どこに下着にまでアイロン掛けをする時間があるのか。
「そう決めてるから」という人もいれば、
「そうしておかないと、夫が不機嫌になるから」と言う人もある。
なるほど、男性陣もそうされていることに慣れているのか。
私の夫は、怠慢な妻のせいで、アイロンの掛かった物を着られるのはYシャツのみ。
それすらも溜め込み、時々自分で掛けたり、お掃除に来てくれるおばさんについでにアイロン掛けを頼んだりしている。
夏場は一緒に洗った他のもので色が変わり、汚れシミの残るヨレヨレのポロシャツで出勤したことが何度あっただろうか。
私はとてもマメなほうだ。自分で言うのもどうかと思うけど。
でも、「洗濯」にかけてはどうも違うらしい、という疑いは持っていたが、イタリアで暮らしてみてそれが決定的なものとなった。アイロン掛けは出来れば一生せずにいれたらと思うほど嫌いだ。
最近は、母が日本から送ってくれる「形状記憶シャツ」に頼って、どうにか事なきを得ているという次第だ。
嫁にきたのがあの時代でなくて良かった、と胸をなでおろす。
きっと、近所でも職場でも「あそこの日本人の奥さん・・・」と、自分や家族だけではなく、日本の悪い評判も立っていたかもしれない。
いや、実はもう立っているのかもしれないが・・・。
ビルとビルの間に無数に張られたロープに万国旗のように堂々と並ぶ洗濯物たち。
ナポリ観光の見所の一つなのかもしれない。
でも、実はこのような光景がみられるのは、住居と商店が入り混じって密集しているナポリの昔からの繁華街だけで、最近は商業地区も住宅地もこうやって大胆に洗濯物を干す事を遠慮しなければいけないような風潮がある。
干すのは、付近の景観を壊さないよう、ベランダの手すりの手前か折りたたみ式の物干し棚。中庭のあるコの字型やL字型のアパートメントも多く、その庭に面した側には多少伸び伸びと干す事ができる。
一軒家だったらもちろん何の問題もないが、不動産地価の高沸しているナポリ市内には、一軒家は極少ない(と思われる)。
我が家は一階で、幸い小さな小さな庭があるのでそこに干す事ができるが、交通量の多いこの周辺は年々スモッグが増加を続け、あまり「物干し」に良い環境ではないかもしれない。
又、このあたりのアパートは、日本のベランダのように排水溝がついていないので、上層階に住む人がベランダの鉢植えに水やりなどをしようものなら、水がベランダの床からそのまま下の階の物干しに流れ落ちてくるようになっている。
我が家もその被害を受けて洗濯物が濡れる、汚れるなんてことが頻繁に起こる。が、これは又別の話し・・・。
私の知るナポリ人は「洗濯物」に関して非常に神経を使う。
いや、私が無頓着だからそう見えるのかもしれない。
白いものは60度以上の高温で洗い、(ちなみに洗濯機はどれも90度まで設定できるようになっている)ホンの少しでもシミが残っていたら、漂白剤でシミ抜きをしてもう一度洗い直す。
黒いものは黒いものだけ、GパンはGパンだけ、残った色物は濃いものと薄いもので分ける。
そして乾いたら、今度はアイロン掛け。
Yシャツ、ブラウス。これはわかるが、Tシャツ、カットソー、ジャージ類、子供服、ベビー服にとどまらず、シーツ、タオル類、さらには肌着に靴下も。
中には雑巾や窓拭き用のボロキレ(古いTシャツやシーツを切った物)にまでアイロン掛けをするという完璧主義者も。ボロキレは使ったら捨てるものだと思っていたので、二重の驚きだ。
そこまでアイロン掛けをする人は極少数だが、ほとんどの人はパンツと靴下以外は全てアイロン掛けをしているらしい。
びっくりした。感心もした。
私は、せいぜい色の濃いものと薄いもの(白物も含む)を分けるくらいで、余裕の無い時は全てまとめて洗濯機にぶちこむ。Tシャツも子供服もどうせ毎日洗わなきゃいけないものだからアイロンなんて掛けない。
そう言ったら、逆に仰天されてしまった。私が怠慢すぎるのかと、かなり疑問を持ちながら反省してみる。
この間そんな事をチャキチャキのナポレターナの姑に話していたら、興味深い話しを聞いた。
かつて、今のように住宅事情や交通事情が悪くなく、街の景観云々などが云われなかった頃。
物干しロープは出来るだけ長く、時にはお向かいさんやお隣さんと庭先や軒先を貸し合って、一番日の当たる場所に張ったものだった。
洗濯機がまだ無かった頃だ。一回にする洗濯物の量は多く、次々と乾かさなければいけないので、広々と大胆に干し広げる。当然人目にもつく。
だから、凝視しなければ見えないほどの小さなシミにも気を使ったのだそう。
そんなものを干していたら、それは主婦の、家の評判につながりかねないのだ。
アイロン掛けも聞いてみれば納得の経緯があった。
化学繊維や綿でもジャージ素材の物が少なかった当事、着るものは、ウールを除けば、綿100%のものがほとんどだ。
アイロン掛けをしないわけにはいかなかったのだ。
徐々に合成繊維のものが一般化しながらも、アイロン掛けの習慣は残ったのである。
それに、人目に付く洗濯物はいつまでも干しっぱなしにしておけず、ちゃんと乾かすためにもアイロン掛けは必要だった。
さらに、高温で洗う、出来るだけ太陽にあてる、高温のアイロン掛けをする、という事は伝染病やのみ、しらみなどの除去、予防対策にもなるのだった。
そんな時代を過ごしてきた、おばあちゃんやお母さんに育てられた人達が普通にその習慣を受け継いだだけだと納得すると同時に、なお続けているという事に驚く。
確かに、きれいにアイロンの掛かったものを身に着けるのは気持ちいい。
でも、私の友達は、たいてい小さな子供を持ち、仕事もしている。
どこに下着にまでアイロン掛けをする時間があるのか。
「そう決めてるから」という人もいれば、
「そうしておかないと、夫が不機嫌になるから」と言う人もある。
なるほど、男性陣もそうされていることに慣れているのか。
私の夫は、怠慢な妻のせいで、アイロンの掛かった物を着られるのはYシャツのみ。
それすらも溜め込み、時々自分で掛けたり、お掃除に来てくれるおばさんについでにアイロン掛けを頼んだりしている。
夏場は一緒に洗った他のもので色が変わり、汚れシミの残るヨレヨレのポロシャツで出勤したことが何度あっただろうか。
私はとてもマメなほうだ。自分で言うのもどうかと思うけど。
でも、「洗濯」にかけてはどうも違うらしい、という疑いは持っていたが、イタリアで暮らしてみてそれが決定的なものとなった。アイロン掛けは出来れば一生せずにいれたらと思うほど嫌いだ。
最近は、母が日本から送ってくれる「形状記憶シャツ」に頼って、どうにか事なきを得ているという次第だ。
嫁にきたのがあの時代でなくて良かった、と胸をなでおろす。
きっと、近所でも職場でも「あそこの日本人の奥さん・・・」と、自分や家族だけではなく、日本の悪い評判も立っていたかもしれない。
いや、実はもう立っているのかもしれないが・・・。
by nakoli
| 2007-11-24 06:03
| ナポリでの生活 NAPOLI