2008年 03月 12日
小1社会で学ぶ「連帯責任」だけど・・・
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上の娘のいる1年F組。
22人のクラス編成は男の子が13人で、女の子が9人。
とても真面目で優秀な子もいるけれど、まだまだ小1、幼稚園気分が抜けきれずに登校している子がほとんど。
今からさかのぼること6ヶ月、入学式の日。
新一年生はは、上級生からそれぞれ風船をプレゼントされた。
娘のF組は緑色の風船だ。
体育館で式が終わった後、新一年生はそれぞれのクラスに担任の先生と上がっていき、私達父兄は校庭で待っていた。
その数十分後、先生のお話を聞き、自己紹介を終えた新一年生達が「A組」から順番に校舎から出てきた。
それぞれがクラスごとに違う色の風船を持っている。
「A組」ーオレンジの風船、「B組」-白い風船、・・・・・「E組」ー黄色い風船。
さて、お次は我々F組の緑色の風船だな、と待っていたのだが、
なぜか、さっきもらったばかりの緑色の風船を持っている子は一人もいない。みな手ぶらだ。
その時は、娘も夫も私も、この入学式でとても緊張興奮していたので、
特に風船の事にに触れることなく帰宅したのを覚えているが、後になって、クラスメートのA君と彼に誘発された「いたずらっ子軍団」が、ほとんどの風船を割ってしまったということが発覚した。
いくつかの割られていなかった風船は、即先生に回収されたらしい。
A君のいたずらっ子ぶりは、枚挙にいとまがなく、最近は娘に「今日A君はどうだった?」と聞くのが私の毎日の楽しみになっているほどなのだが・・・。
さて、昨日の事。
いつもの様に、上の娘はたくさんの宿題を持って帰って来た。
生徒達がそれぞれ書いたいくつかの宿題の一番下に、赤文字で
「(クラスで教室を移動する際)”列を作った時に、飛んだり跳ねたりおしゃべりをしない”を5回書いてくるように。」
とある。
???
娘によると、先のA君が、体育館に移動する際、例のごとく騒いでいたので、怒った先生は、このフレーズを書いてくるという宿題を全員に課したのだとか。
ちなみに、皆が5回のところを、A君は10回書かなければいけないとのこと。
これは、いわゆる連帯責任 resposabilità collettiva なのだ、と社会の先生はおっしゃったらしい。
小1で、連帯責任か・・・。宿題をする娘の横で考える。
大人の世界では、普通にあることだ。
先月、ある議員の「不都合」が明るみに出て、その責任をとる形で内閣が解散した。
残念だが、こんな議員を入れて組閣した総理が責任をとるのが当然だろう。
そして、これを受け、今、総選挙を控え揺れているイタリア政府。
ナポリでも、候補者達の選挙合戦が大分前から繰り広げられている。
誰もが「ゴミ問題解決」を公約として掲げ、それを餌に票を集めるのに躍起になっている。
先日、ある候補者が催した、選挙演説会を兼ねた夕食会にたまたま行くことになった夫。
面白そうなので同伴したのだが・・・
そこには「これほど深刻化してしまったナポリのゴミ問題」に対する危機感は微塵もなく、
あるのは贅沢な食事とワイン、若い美人達をはべらせた政治家もどきと、その人達の自慢話であった。
血相を変えているのは、問題解決のためではなく、票集めのためだというのは、どこの国も同じなのかもしれない。
自分さえ良ければいいという政治家が多いのも、世界共通なのかもしれない。
「ゴミ問題解決案」などは最後まで、誰からも一切触れられることなく会の幕は閉じた。
スピーチは「こうなってしまったのは、”あいつ”のせいで、その責任は俺達にはない。悪いのは全て”あいつ”だ」と言う内容に始終した。
「連帯責任」として、自分もその一端を担い、我々のナポリを変えていこう。などとは、夢にも思っていないらしい。
「責任」というものが何なのか、まだ解ることも出来ない小学一年生ですら、課せられ果たしていこうとしている責任。
A君のせいで・・などと思わずに、娘もクラスメート達も、やるべき事として、この宿題をやり終えて学校に行くであろう。(今日娘に訊いてみたら、A君は20回も書いてきたそう。笑)
そしてこれがA君だけの責任ではない、という事を先生も親達も子供達も解っている。
自分の身長の倍ほどもあるゴミの山、そう、「無責任の山」の横を通って、登下校しなければならない、ナポリの子供達の後ろ姿は、理不尽でけなげで、胸がしめつけられる。
「誰もとらない責任」の犠牲者になっている、この子供達の小さな背中を、どれだけの大人が見ているのだろうか。
22人のクラス編成は男の子が13人で、女の子が9人。
とても真面目で優秀な子もいるけれど、まだまだ小1、幼稚園気分が抜けきれずに登校している子がほとんど。
今からさかのぼること6ヶ月、入学式の日。
新一年生はは、上級生からそれぞれ風船をプレゼントされた。
娘のF組は緑色の風船だ。
体育館で式が終わった後、新一年生はそれぞれのクラスに担任の先生と上がっていき、私達父兄は校庭で待っていた。
その数十分後、先生のお話を聞き、自己紹介を終えた新一年生達が「A組」から順番に校舎から出てきた。
それぞれがクラスごとに違う色の風船を持っている。
「A組」ーオレンジの風船、「B組」-白い風船、・・・・・「E組」ー黄色い風船。
さて、お次は我々F組の緑色の風船だな、と待っていたのだが、
なぜか、さっきもらったばかりの緑色の風船を持っている子は一人もいない。みな手ぶらだ。
その時は、娘も夫も私も、この入学式でとても緊張興奮していたので、
特に風船の事にに触れることなく帰宅したのを覚えているが、後になって、クラスメートのA君と彼に誘発された「いたずらっ子軍団」が、ほとんどの風船を割ってしまったということが発覚した。
いくつかの割られていなかった風船は、即先生に回収されたらしい。
A君のいたずらっ子ぶりは、枚挙にいとまがなく、最近は娘に「今日A君はどうだった?」と聞くのが私の毎日の楽しみになっているほどなのだが・・・。
さて、昨日の事。
いつもの様に、上の娘はたくさんの宿題を持って帰って来た。
生徒達がそれぞれ書いたいくつかの宿題の一番下に、赤文字で
「(クラスで教室を移動する際)”列を作った時に、飛んだり跳ねたりおしゃべりをしない”を5回書いてくるように。」
とある。
???
娘によると、先のA君が、体育館に移動する際、例のごとく騒いでいたので、怒った先生は、このフレーズを書いてくるという宿題を全員に課したのだとか。
ちなみに、皆が5回のところを、A君は10回書かなければいけないとのこと。
これは、いわゆる連帯責任 resposabilità collettiva なのだ、と社会の先生はおっしゃったらしい。
小1で、連帯責任か・・・。宿題をする娘の横で考える。
大人の世界では、普通にあることだ。
先月、ある議員の「不都合」が明るみに出て、その責任をとる形で内閣が解散した。
残念だが、こんな議員を入れて組閣した総理が責任をとるのが当然だろう。
そして、これを受け、今、総選挙を控え揺れているイタリア政府。
ナポリでも、候補者達の選挙合戦が大分前から繰り広げられている。
誰もが「ゴミ問題解決」を公約として掲げ、それを餌に票を集めるのに躍起になっている。
先日、ある候補者が催した、選挙演説会を兼ねた夕食会にたまたま行くことになった夫。
面白そうなので同伴したのだが・・・
そこには「これほど深刻化してしまったナポリのゴミ問題」に対する危機感は微塵もなく、
あるのは贅沢な食事とワイン、若い美人達をはべらせた政治家もどきと、その人達の自慢話であった。
血相を変えているのは、問題解決のためではなく、票集めのためだというのは、どこの国も同じなのかもしれない。
自分さえ良ければいいという政治家が多いのも、世界共通なのかもしれない。
「ゴミ問題解決案」などは最後まで、誰からも一切触れられることなく会の幕は閉じた。
スピーチは「こうなってしまったのは、”あいつ”のせいで、その責任は俺達にはない。悪いのは全て”あいつ”だ」と言う内容に始終した。
「連帯責任」として、自分もその一端を担い、我々のナポリを変えていこう。などとは、夢にも思っていないらしい。
「責任」というものが何なのか、まだ解ることも出来ない小学一年生ですら、課せられ果たしていこうとしている責任。
A君のせいで・・などと思わずに、娘もクラスメート達も、やるべき事として、この宿題をやり終えて学校に行くであろう。(今日娘に訊いてみたら、A君は20回も書いてきたそう。笑)
そしてこれがA君だけの責任ではない、という事を先生も親達も子供達も解っている。
自分の身長の倍ほどもあるゴミの山、そう、「無責任の山」の横を通って、登下校しなければならない、ナポリの子供達の後ろ姿は、理不尽でけなげで、胸がしめつけられる。
「誰もとらない責任」の犠牲者になっている、この子供達の小さな背中を、どれだけの大人が見ているのだろうか。
by nakoli
| 2008-03-12 03:15
| ナポリの生活 NAPOLI